酒とパソコンと音楽の日々

酒とパソコンと音楽の日々

単なる日記。そして時には連絡帳。

サン=サーンスの音楽

今日は僕のもう一つの趣味である、クラシック音楽の話を書きたいと思う。

高校三年生の時の僕のクラスの担任は世界史の先生だったが、
クラシック音楽をよく聴くという話は聞いていた。
それで、世界史のテストの時にイギリスの問題が出たので、
解答の横に、なぜイギリスからは著名な作曲家が出ていないのかという趣旨の質問を書いた。
そしてその答案用紙が手元に返ってきたのを見ると、
僕の質問に先生は自分の考えをちゃんと書いてくれていたので、とても感激した思い出がある。

三年生だったので、当然進路についての個人面談があったのだが、
僕と先生は進路の話そっちのけで、音楽の話ばかりしていた。
その当時、僕はマーラーとかバルトークとかストラヴィンスキーをよく聴いていたのだが、
その話をすると、先生は
サン=サーンスもいいよ。一度聴いてごらん。」
と僕にサン=サーンスを勧めてくれた。
サン=サーンスなんて「動物の謝肉祭」ぐらいしか知らなかったので、
それから意識してサン=サーンスを聴いてみるのだが、どうも馴染めない。
フランス音楽ならまだフランクの方が断然面白いと思った。

それから何年も経った時に偶然に聴いたサン=サーンスのピアノ協奏曲の4番に
僕は心を惹かれた。
それからサン=サーンスの全部で5曲あるピアノ協奏曲を全部聴いた。
そこで僕は気付いた、僕が(というか日本人が)
サン=サーンスをあまり好まない理由はなんであるかを。
要するに日本人はあまりにもドイツ音楽の影響を受け過ぎているのだ。
ベートーヴェンブラームスのような強固な形式美をもった曲に傾倒し過ぎている。
サン=サーンスの曲はとても美しいメロディーを持っているにもかかわらず、
ドイツ音楽とはまったく違う曲の構造をしているので、
取りとめがない曲のように聴こえてしまうのだ。
その点、同じフランス音楽でもフランクはしっかりとした形式を持ち、
循環形式という分かりやすい構造も手伝って、日本でも人気がある。
その当時、サン=サーンスがフランクの音楽を嫌っていたのは有名な話だ。
サン=サーンスとフランクでは相容れない音楽性を持っているのを
今の僕は分かるような気がする。

ここで僕が取り出したCDは
サン=サーンスのヴァイオリン・ソナタ第1番ニ短調作品75というやつだ。




奏者はヴァイオリンがギル・シャハム、ピアノがゲルハルト・オピッツ
おそらくこの曲は日本では滅多に演奏されない。
2楽章しかなく形式は取とめないし、ヴァイオリンもピアノも技巧的に難しい。
しかしこの2人にかかると、この曲がとても軽やかで美しい曲に聴こえる。
僕が思うに、おそらくシャハムは現在トップクラスのヴァイオリニストの一人だろう。

僕がざっと聴いて分析したところによると、この曲の第一楽章はこのような構造になっている。


A - B - A(1) - B(1) - A(2) - B(2) - C - D - C(1) - コーダ

つまり前半はAとBを並列的に繰り返し、後半はテンポを落として違うメロディを奏でる。
こう書くととても単純な形式のように思えるのだが、
ドイツ音楽かぶれした僕らが聴くと肩透かしをくらったような音楽に聴こえるのだ。

第二楽章もこの調子だ。
しかもこの楽章の後半は無窮動風の走句が多く、技巧を要する。
コーダはピアノの左手、右手、そしてヴァイオリンの
3重ユニゾンで急速なパッセージを昇り降りして大興奮のうちに曲を終わる。
僕はこの曲はサン=サーンス室内楽曲の中でも指折りの名曲だと思う。

このCDはフランクのヴァイオリン・ソナタとのカップリングなので、
この二人の作曲家の曲調の違いを聞き比べることができる。
まあ、でも普通はフランクのヴァイオリン・ソナタ
終楽章のカノンの方が良いと思うだろうなぁ。
あのカノンは本当に美しいと、僕も思う。